差別感情の哲学

先週からゼミでは哲学をすることになりました。考えていくテーマは差別で、差別感情の哲学という本の一部分を読みました。読んでみて特に気になった所、疑問に思ったところを書いていこうと思います。

その前に先に差別ときいて私が思いつくことを書いてみます。

私の中の差別のイメージ

いじめ、人種差別、部落差別....

差別はすることで傷つく人がいる、してはいけないこと 身近なことのようでそうでもないような なんか大きなテーマだな というイメージです。

 

 

では差別感情の哲学を読んで思ったことを書いていこうと思います。

文章はA.B.C.Dの4つのパートに分けられていたのでこれに沿って書いていきます。

まずはAパート「悪意は人を鍛え、かつ人を滅ぼす」 から気になった所を挙げていきます。

<他人を苦しめようとし、その苦しみを喜び、他人を破滅させようとし、その破滅を祝う存在者なのである>

前述されているように危害を加える動機には当人にも不明なものがあり、あらゆる動機によって他人に危害を加えるというのは納得できるのですが、何かを守るために危害を加えてしまった場合はどうなるのだろう?危害を加える者は本当に破滅を祝っているのか?危害を加えた後に後悔する人もいるのではないか?とこれは言い過ぎなのではないかと思います。またこの後の文に

<攻撃衝動を抑える代わりに、生涯を通じて罪悪感と闘い続ける>

とあったのですが、危害を加えた後に後悔したとすれば攻撃衝動を抑えなかったとしても罪悪感と闘い続けることになるのでは?と思いました。

<いかなる敵も存在しないところには、いかなる味方も存在しない>

これは納得できるようでできないなと思いました。納得できる理由としては、中学の部活で先生に不満が募れば募るほどみんなが一致団結したという経験があったからです。確かに敵の存在により味方が集まり団結するというのは理解できます。しかし敵がいないからといって見方もいないということになるのでしょうか?

<友情も恋愛も家族愛も破壊しようとする敵がいてこそ大切な絆なのである>

これも違うのではないかと思います。敵がいたから深まる絆もあるとは思いますが、単純に一緒にいて落ち着くとかいうのは敵の有無にかかわらず大切な絆となるのではないかと思います。

<無数の不可欠のことが攻撃衝動を断ち切ると同時に人間の生活から消滅してしまう>

ええ?それはないだろうと思いましたが、この文自体なんとなくわかるようでわからなかったので反例を想像することもできず、わかりません。そうなのか...?

<悪意のうちにこそ人生の豊かさがある。それをいかに対処するかがその人の人生の価値を決めるのだ>

なるほどと思うような思わないような...

Aパートはそれ本当?と思ってしまうところが多くありました。

 

次はBパート「快・不快を統制する社会の恐ろしさ 」です。

<不快を感じてしまうのであり、それはどうすることもできない>

その通りだと思います。赤ちゃんの頃から善悪の判断はできなくとも快不快の判断は教えられなくてもできるものであり、不快に感じてしまったものはどうしようもないと思うからです。

<不快の無制限の発露を許してはならず、何らかの統制をすべきである>

許してはならないと言われても不快に思うことは止められない 止められないからと言って放置もしておけない だから統制する しかし統制したところで表面は良くなっても、不快には思っているわけで 根本的な解決にはならない となるのでしょうが、不快を放置している状態よりはましなのではないかなと思います。

 

「差別感情のスペクトル」に移ります。

<社会的劣位グループの構成員をその構成員であるがゆえに一律に不快と思うという感情のみを差別感情とする>

そもそもこれは不快という感情だけで差別しているのでしょうか?○○=排除すべきものだと考えているだけではないのでしょうか?それは本当に不快なのでしょうか?何を基準に劣位ととらえるのでしょうか?なんとなく、不快だけで片付けるにはもっとどろどろとしているように思います。

 

Cパート「帰属意識アイデンティティ」に移ります。

<自分の属している集団を過度に愛すると、それがいかに悪意のないものであろうと差別感情を育てる温床になるのだ>

その通りだと思います。しかし、受け取り手が自分の属す集団に劣等感を抱いていてこじれてしまうこともあるのではないかと思いました。

「家族至上主義」に移ります。

<最大の幸福と信じきっているから、この幸福をすべての人に要求するというすさまじい暴力をーあくまでも穏やかな形でーじわじわと実行するのである>

価値観の押しつけはいけないし、幸せは他人に測れるものじゃないと思いますが、実際、障害を持つ方は持たない人に比べて苦労が多いだろうし、家族に恵まれない人は寂しいことがあるだろうと思います。だから苦労の少ない人がかわいそうだと思ってしまうのは仕方のないことかなとも思い難しい問題だなと思いました。

 

最後にDパート「『 よいこと』を目指す態度」です。

<意識を変えるには、意識という、もっともやっかいな相手を敵にまわさなければいけないからである>

よいことを学べば悪いことも学ぶ  悪を軽蔑することはよいことを知り、正しい方へ進んでいる証拠でもあるだろうし、起こって当然の差別だよなあと思いました。そんな当然の意識を変えるのは本当に難しいだろうし、どうやって変えたらいいのだろうと思いました。

 

 

合っているか分かりませんが、まとめるとこのようなことを述べているのでしょうか。

・悪意は消去するのではなく対処すべきもの

・不快は統制できないが、放置もできない

・統制したから、不快を隠したからといって解決するわけではない

・悪意がなくとも、自分の価値観しか見えなくなってしまうと、それを他人に押し付けたり、あてはまらないものは排除してしまったりというようなことをおこしてしまう

・意識を変えることは困難で、意識に基づく差別は手に負えない

 

こうしてみてみると差別がうまれるのは仕方の無いことに思えるし、どうしようもなく思えます。小学校の頃から差別はしない しちゃいけない と言われてきましたが、差別しないことはできなくて、自分の中に差別の感情が芽生えた後のことを考えるのが重要なのでしょうか。

 

 

 

その他、読んでいて気になった単語がありました。

Bパートに出てきた「常識」と「暗黙の前提」です。

常識や暗黙の前提というものををふまえることで争いが起きないように差別を生まないように、私たちは自然にそういう行動をしているはずです。しかし逆にそうすることで生まれる差別もあると思います。常識や暗黙の前提に従えなかった人がいれば、その人は異質なものとして排除されるはずです。そして、そこでまた差別が生まれるのでしょう。常識や暗黙の前提に従うことは大切なのだろうけど、同時に煩わしいものだなと思いました。

 

あとは、普段は特別意識しないような言葉も、差別につながるものなのか?と意識させられました。

高級、高尚、優位、清潔、勤勉...じゃあ反対は?低級、低俗、劣位、不潔、怠慢 となってしまうのか?と敏感になってしまった気がします。

 

 

なんだか考えれば考えるほど差別に近づいていくような気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

退屈と暇と気持ち

 


先週のオンラインゼミでは、今自分は暇なのか退屈なのか考え話し合ってみるということをしました。

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☆退屈と暇

外せない予定などが特になく、コロナの影響で通学の時間がなく自由な時間が多いので時間を作ろうと思えばできるから暇なのかな、でも色々してたらすぐ1日過ぎるし退屈はしていないな と思い私は表の中の②を選びました。私は大体みんな②かなとか思っていたので③が多かったことに驚きました。②と③の違いは何なのだろうと話し合ってみると暇に感情が含まれるかそうでないかの違いなのではということになりました。時間はあるが予定は特にない今の状況のみを考えて暇であると判断した②の人に比べ、③の人は退屈しておらず充実している、暇は充実してないように感じてしまうから③だと気持ちも含めて位置づけていたようでした。

暇と退屈は似ている 確かに退屈を考えると気持ちも無視できない そしてたいていマイナスの感情のようだ でも暇は?気持ちは関係する?それはマイナスだけ? というような暇に対する疑問が残りました。

 

☆歌詞の中の退屈と暇

最近ドライヤーで髪を乾かしているときに歌詞を見ながら歌うというマイブームが再来しているのですが、ちょうど歌っていた歌詞の中に暇を見つけました。

「あの子は竜に逢う」という曲で

"DQNネームのせいで友だちがひとりもいないから暇なんだ"というフレーズがあります。(なかなか変わった歌詞ですがくせになる可愛い曲なんです。)その後サビには"つまらない毎日 くだらない自分"というマイナスのフレーズがあります。しかし最後は"僕が生きた毎日 面白いとは言い難いけれど それでもやっぱり 大事なんだよな"とプラスととれるようなフレーズで終わります。

暇の部分は退屈にも置き換えられそうです。

なんか他にも暇や退屈と言ってる曲聞いてるかもと思い探してみました。

すると見つかりました!「放課後せれな~で」という曲です。

最初の退屈フレーズは"本当も嘘も全部放課後退屈しのぎのひとつだから"でした。マイナスっぽいでしょうか。次は"振り出し戻るサイコロふって退屈は続いていく"です。マイナスですね。そして"いつまでたっても未完成 スゴロクみたいな人生 退屈という名のモンスター"と続きます。モンスターにまでなってますね。最後は"全然まだ楽しくないから 早くどこか連れ去ってよ きみとのゲームは続いていく"で終わります。退屈じゃなくゲームとなっていますが、どちらかといえばマイナス?ですかね。こちらは退屈のところを暇にしてしまうとなんか違いそうです。

 

 

2つだけではいまいち暇と退屈の感情の違いがつかめなかったのでもう少し探してみることにしました。自分の聞いている曲に退屈・暇を含むものは探せばまだ見つかりそうですが、探す気力はなかったので退屈 歌詞、暇 歌詞で検索してみました。するとダイレクトに「退屈」というタイトルの曲が2つと、「ヒマの過ごし方」という曲がヒットしました。

 

odolさんの「退屈」は歌詞に退屈は入っていませんでしたがとても暗い歌詞でした。

"大体同じような景色ばかりだ" "まだあのころから消えない" 最後は"そうだね今日だけ思い出そう"で終わります。何があったのか気になりますね。

もう1つの「退屈」は橘いづみさんという方の曲でした。これまたネガティブな感じでした。最初から"ギターの弦がパシッと切れた"で始まり "私の退屈だれかもらって"で1番が終わります。途中"曇りのち晴れ光を浴びよう"という明るいフレーズもありますが、"殺虫剤はきれてしまった 元気の出るものどこにあるのか"と続き、最後は"退屈退屈退屈退屈 私の退屈だれかもらって"で終わります。こちらも「放課後せれな~で」同様自分じゃどうにもならないくらい退屈しているみたいです。

2つともやはりマイナスが強くて暇に置き換えることはできなさそうです。

 

暇のほうの歌詞はどうでしょうか。

「ヒマの過ごし方」を見てみると"そもそもヒマって言葉自体まずいい意味では使われない"とあります。暇の曲もやはりマイナスなのでしょうか?さらに見ていくと"ぼくはぼくのヒマを過ごしていた"というフレーズがありました。自分なりのヒマがあるのだという主張、また暇をつぶすではなく過ごすと書いているということはマイナスとしてとらえたくないということでしょうか?また"こわいのはただただある時間" "ヒマとゆとりをもって過ごそう"   "人の数だけヒマはあるのだ" "それこそあたりまえのことなのだ" とありました。何もすることがないとヒマは同義ではなく、人それぞれヒマの過ごし方があるのだ と時間的余裕だけでなく暇を肯定的にとらえているようでした。私はこういうヒマのとらえ方もいいかもしれない思いました。でもなんでこの歌詞の暇はかたかなで書いてあるのかは分かりませんでした。

 

退屈はマイナスのイメージで問題なさそうですが、暇はプラスのイメージでもよさそうだなと思えてきました。では本来の意味として辞書にはどのように書かれているのでしょうか。

 

☆辞書での退屈と暇の意味

暇            対義語:忙しい

物事と物事の空白の意 

1)時間の余裕・ひま

2)休暇

3)職務をやめること

4)別れてさること

「凪のお暇」というドラマが昨年放送されていて見ていたのですが、まさにこれで、仕事もやめ恋人とも別れ、お暇を使って新しい自分に切り替えていくというものでした。3と4はたいていマイナスでしょうが、やめたり別れたりして新しくする、気持ちを切り替えると考えると必ずしもマイナスではないように思えます。

 

退屈            対義語:熱中

1)することがなくて時間を持て余すさま

2)飽き飽きして嫌気がさすこと

3)疲れていやになること

4)困難にぶつかってしり込みすること

退屈はやはりマイナスイメージでよさそうです。飽き飽きして嫌になる、困難にぶつかりしり込みするという意味を見ると、歌詞の中で退屈を振り出しに戻るゲームやモンスターとたとえてあったり、連れてってや誰かもらってなど他力本願な内容が多かったのも納得です。

 

☆暇はプラス?

辞書での意味通り、やはり退屈を考える時にはマイナスの感情がついてきそうですが、暇を考える時は時間的判断だけでもいいのかなと思います。そして暇に気持ちを入れるとしたら必ずしもマイナスではなく自分で自由にとらえていいのかなと思います。

表を見ながら暇かどうか考えたときは時間的余裕だけで考えたのですが、普段暇という言葉を使うときは(残念ながら)暇だよ~みたいなニュアンスで使っているなと思いました。相手からマイナスにみられると思っているからそんな使い方をしているのか、自分でも暇をマイナスに思っているのかははっきりしないのですが、自分で思う分は暇も悪いものじゃないんだとプラスに考えてもいいのかなと思います。そして、そのほうが余裕・空白の時間を自分で満足に使ったんだ、過ごしたんだという気持ちになるのかなと思いました。

ミズノプロジェクト まとめ

私たち木のチームはマッサージ木ペンを提案することとなり、先日無事に発表を終えました。

 

まとめとして、みんなで悩んで話し合ったポイントを書いておこうと思ったのですが、まとめるのが難しくて、人のブログを見ながら書いた上にまとまらないというおかしなことになってしまったので、気づき・感想を書いておきます。

 

 

・捉え方を変えてみる

価値マップをまとめていた時、最初は軽い価値、重い価値 というわけ方をしていました。

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何となく軽そう、重そう という感じで分けていたため、それから先が進まず行き詰まっていました。私は全然思いつかず、正直諦めていました。しかし、次の時間にメンバーの一人が、捉え方を変えて、まとめてきてくれました。

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配置は大きく変わってないものの、曖昧だったものが理由づけてまとめられたことで、みんなが納得出来る価値マップとなり、その先に進むことができました。

 

・言葉を選ぶのって難しい

これは、ペルソナの文章を考えている時に思ったことで、無駄な説明を入れずに意図していることを簡潔に分かりやすく、適切な言葉で言語化するのは難しいなと思いました。

 

・メモとブログの重要さ

以前自分達はどう考えていたのか ということを振り返ることが多く、メモやブログが少ないと自分はどう捉えていたのかが分からず困りました。出来事とどう考えていたのかを残しておかないとなと思いました。

 

・全体を関連付けて考える

ペルソナや利用シーンにばかりとらわれ、価値マップが置き去りになっていたことがあり、価値マップを改めて見てみると、あれ?ここはどうなるんだっけ?と矛盾が生じたことがありました。全体を意識しとくことも必要かなと思いました。

 

 

 

以下はプロジェクトを通しての感想です。

ギリギリまで考えて、みんなで納得する結果となったから良かったのではないかなと思っています。この結果も途中で生まれた疑問も一人では考えつかず、たどり着かなかったなと思います。私は毎時間みんなの考えに、なるほどなーとなっていました。そして、どれか一つを考えすぎると矛盾が生まれてしまうから、全体を関連付けて考えないといけなかったことと、そうするとどんどん深くなっていって自分の考えが追いつかなくなっていったこと、その考えを言葉にすることが難しかったです。

 

本当はせめて年内に更新したかったのですが、年があけてしましました。

2019年は時間やお金の浪費が激しかったと思います。何をした訳でもないのにこの時間?この残高?となってばかりでした。なので今年はもうちょっと自分に厳しくなろうと思ってはいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミズノプロジェクト

先週のゼミでは偶然の出会いについてインタビューをした結果をグループで共有し、先生から提案してもらった価値モデリング法 (KA法)という方法で、それぞれの偶然の出会いの裏にある価値を考えてみました。

 

価値モデリング法とは

どんな小さな行為にも価値が潜んでいると考え、一つ一つの出来事から価値を導き出す という方法です。出来事からユーザーの心の声を想像し、その出来事と心の声を手がかりに価値を抽出するそうです。

例えば、料理道具を使う前には、洗い残しが気になるため再度洗ってからを使う という行為があれば、そのユーザーの心の声は「綺麗じゃなきゃやだなぁ」と考えられ、そこから抽出される価値は清潔な道具で調理する価値 と考えることができます。

ここでのポイントとしては

・心の声はユーザーの状況を想像し、一言(おネエっぽく ~ね、〜だなぁ)で表現

・価値は動詞+価値 で表現    

するそうです。

 

この価値モデリング法のカードを使って自分のインタビューを分析したのが下の写真です。

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三枚目は価値が思いつきませんでした。

気の合う人と出会える価値?というのも出来事とズレる感じがするし、今後もバイトの面接が楽しくなる価値?は偶然友達が出来ただけであって、ちょっと飛躍しすぎてるよなって思い、何個か考えてみてもどれもしっくりくるものを思いつくことができませんでした。

 

最後にグループメンバーそれぞれが自分のインタビューから書いたカードを皆で読みあいました。読んでいて、私はメンバーと同じインタビューをし、同じ心の声を想像したとして、私にはこの価値は考えつかなかったなというのがありました。また、私がグループメンバーのインタビューから価値を考えても、違うことを書いたかもと思うのもありました。でも、考え出した価値は人それぞれで、どれが正解かはないだろうし、心の声から考える価値はどこまで想像していいものなのか難しいな と思いました。

 

 

 

 

インタビュー練習

今回のゼミではインタビューの練習をしました。3人1組ずつのグループをつくり、それぞれインタビュアーとインタビュイーとオブザーバーという役割を担い、好きな○○というテーマで話しました。

【インタビュアー:インタビューをする人

 インタビュイー:インタビューを受ける人

 オブザーバー:インタビューの様子を見てメモをとる人 】

 

私たちのグループは「好きな音楽」というテーマでインタビューをしました。インタビューは2セット行い、私は1回目はオブザーバーを、2回目はインタビュアーをしました。

 

 

~1回目オブザーバーとしての気づき~

・インタビュアーがインタビュイーの話をしっかり聞いて、答えた内容をふまえて質問していたから、インタビュイーは話しやすそうで、楽しく語っていた印象

・ただ、音楽を聴く時は未だにCDからという話題から漫画は電子書籍より紙派 という話に一瞬すり変わった時があり、そこはテーマからズレていた。(しかし、その話をしている時がインタビュイーは1番楽しそうでした。)

 

何の為のインタビューか、何を聞きたいかを皆で整理してインタビュー2回目へ…

(きっかけや、音楽からどんな影響を受けたのかとかを聞いた方が、何故音楽が好きなのか核心に迫れそう、という話になりました。)

 

 

〜2回目インタビュアーとしての気づき~

・次の質問の事ばかりに意識がいってしまい、答えてくれているインタビュイーの話をきちんと聞けなかった

・沈黙ができてインタビュイーに気を遣わせるという最悪な状況に陥った

・メモを見ると、質問を少しは考えていたはずなのにYES、NOで答えるような質問を多くしてしまっていた

 

 

インタビューで大切なこと

・師匠と弟子モデルを意識

弟子は常に相手に習う姿勢であり、その姿勢を忘れないことで、相手と同じ目線に立てるということ

・インタビューは仮説作りであり、検証ではない

相手の思いを決めつけて、幅を狭めないということ

・考えと事実の両方を聞く

考えや思いはその都度変わるものであり、事実も知っておかないとベースが分からない

 

 

たまに雑誌のインタビュー記事とかを見ることがあるのですが、改めてインタビュアーさんは凄いなと思いました。これから今回のことを思い出して読んでみたいです。

 

 

 

 

 

リモートワークと自己管理

先日、キャスターという会社に勤めていらっしゃる須田さんの講演会とディスカッションに参加しました。

 

〇須田さんのお話

   ・いろんな働き方があることを知って欲しい

   ・就活は自分を知るための重要な時間である

   ・行動することの大切さ

須田さんは、この3点について話して下さいました。

私が須田さんのお話の中で心に残ったのは、就活中は周りばかり気にするのではなく自分が納得できるようにするかが大切だ という話でした。須田さんは、周りが就活を終えて遊び始めても就活を続けたそうです。更に、内定をいくつか貰っても続けたと仰っていました。須田さんのように、自分の進路に納得できるまで諦めないことが自分の為になる正しい選択だとは分かるのですが、果たして私は自分と向き合って諦めないということが出来るのだろうか…と不安になりました。

驚いたのは、最初須田さんは転職の相談にのるお仕事についたそうですが、その仕事を選んだ理由の1つに、人の転職の相談にのる中で自分のしたい仕事も見つけられるかもしれないと考えたから と仰ったことです。私には、次したいことを見つける為に就職するという考えはありませんでした。

(その後、キャスターという会社に入ったそうです。)

 

 

〇リモートワークとは

須田さんが、現在勤めていらっしゃるキャスターという会社は「リモートワークを当たり前にする」ということが目標だそうで、全国のリモートワーカーを紹介する在宅派遣などを展開しているそうです。

リモートワークとは、出社せずに自宅やコワーキングスペース(異なる職業や仕事を持つ人達が集まり、シェアできる場所)など自由な場所で仕事できる働き方のことです。

 

リモートワークのメリットとしては

・自分の仕事に集中でき、効率が上がる

チャットでのコミュニケーションが主でありオフィスのように、ちょくちょく話しかけられることがないため集中した状態を保ちやすい。

・場所に縛られない

地方に居ながら仕事ができる。(給料はどこに居ても同じ)また、通勤にかかるストレスがない。

・評価にブレがない

仕事の管理もオンライン上で行われるため、業務量の誤魔化しは効かず、結果重視となる。

などが挙げられます。

 

リモートワークにおいて必要なことは

・自分の考えなどを言語化できること

コミュニケーションをチャットで行う為、文字のみで相手に伝える必要がある。

・自分で時間を管理できること

・自分1人でも仕事や課題を解決できること

オフィスと違い、困ったらすぐ周りに聞き頼ることは難しい環境であるから。

だそうです。

 

私は、長い通学時間とそれ故に余裕のない朝にストレスを感じることが多いので、それがなくなるリモートワークという働き方に興味を持ったのですが、自由がある分、自分一人の責任も増えるし、自分で時間や仕事を調整できないといけないのだな…と分かり、そういうのが苦手な今の私には難しそうだと感じました。

 

 

〇自己管理について

須田さんのお話の後はディスカッションの時間でした。

参加者が話したい内容を決めるアンカンファレンスという形でのディスカッションで、私は自己管理がテーマのグループを選び、自分にとっての自己管理とは何か、どういう時に自己管理出来てないと思うか、自己管理のための計画の立て方などを話しました。それをまとめて貰ったのが下の写真です。

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須田さんは

・嫌なことは午前中に終わらせる

・小さな目標を立てる

・自分のルーティンをつくる

・1日3つ以上のことをしない

・可視化する

などして自己管理しているそうです。

生活に取り入れていきたいです。

 

須田さんは、自分のやりたくないことはやらない!とも仰っていて、そうなれるように、どこでも通用できるように個人の力としての自分の経験値、希少価値を上げてきたそうです。

とにかくポジティブで溌剌としてて凄いなと思いました。

私も自分にできることを小さなことからでも増やしていこうと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前期最後のゼミ

 

前期最後のゼミは今後、色んな場面において大事にしなければならない考え方について教わりました。

 

 

◎教わったこと

HCD(人間中心設計)の基本プロセス

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まず①のステップでは観察などを通して視覚化し、利用状況を理解します。次に②のステップに進み、どの辺りにどういう問題があるのかを考えて、③解決策の作成に移ります。そして④本当にその策で良いかテストをし設計評価をします。良ければゴール、ダメであれば①②③のステップへ戻り、適合するまでぐるぐる回していきます。

ポイント

・①②③のステップをより速く回すこと

(1つひとつじっくり考えるより、どんどん試していくことが大事)

・人間中心の考え方=人間を知ること

年齢や性別などにとらわれず、1人ひとり異なる、その人自体を重視する。若いから、年取ってるから、男だから、女だから という枠はあまり関係ないことも多々あるということ。

(例えば、映画を観るとして若い女性だからといって皆が新しい恋愛映画とかを観る訳ではなく、クラシック映画を観たりホラー映画を観たりする人だって当然いる)

 

ダブルダイアモンドと呼ばれる考え方

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ポイント

・最初の発散が大事

視野を広く持ち、広範囲から(色んな人から、場所から)課題を見つける。

そのためには、とりあえず行動!

 

W型問題解決

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ポイント

・知識がないと仮説は立たない

思考と経験を行き来し(仮説は現場へ行ってみることで生まれる)、知識として残すことが大事。

 

経験からの成長

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ポイント

・自分で判断して、振り返り、教訓を得る(概念化する)ことが大事   【振り返り≠反省】

 

 

人材観

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今回教えてもらったような考え方はポータブルスキルに当たる。

 

 

 

◎これから

私は何か上手くいかなかった時、たいていダメだったなで終わり、次こうしようと教訓を考えても、考えるだけで終わってしまい、また同じことを繰り返してしまうことが多いです。それは、真剣さが足りてないからかなと思いました。(真剣に取り組んだことを思い返すと、4つ目の図のような手順が踏めていたからです。)なので、真剣さをもつようにしたいです。そして、いやいや何かに取り組んでは真剣にはなれないだろうと思うので、少しでも楽しんで、前向き取り組みたいなと思います。

夏休みすることについて…

私は寝坊してゼミを1回休んでしまったのですが、その時に先生に出してもらった宿題(本を読んでブログにあげる)をまだできていないので、とりあえず夏休みの最初にはアップしたいです。